みなさん、こんにちは。今回からは7月10日の施食会(せじきえ)を前に、施食会についてしばらく連載してお話したいと思います。初回は施食会の由来についてです。
毎年どこの曹洞宗寺院でも必ず行われている施食会ですが、施食会という言葉を直訳すると、「食べものを施す法要」という意味になります。
では誰に対して食べものを施すか、みなさんはご存知でしょうか?
もしかしたら多くの方は「ご先祖さま」へ食事を供養すると思っていらっしゃるかもしれませんが、そうではありません。
実はこの法要で供養する対象は、主に「餓鬼(がき)道で苦しむ衆生(生きとし生けるもの)」とされています。
餓鬼とは仏教の世界観である六道(6つの世界)の一つ、餓鬼道のことです。
餓鬼道におちた衆生は常に飢えと乾きに苦しむと言われ、たとえ食べ物を手に入れたとしてもすぐに火がついて食べれなくなってしまいます。
この餓鬼道で苦しむ衆生を救う方法が、『救抜焔口陀羅尼経(ぐばつえんくだらにきょう)』と呼ばれる経典に記されています。そのお話は次のようなものです。
昔、阿難陀(あなんだ)尊者という釈尊の弟子の一人が坐禅していた時のこと、突然目の前に焔口(えんく)という餓鬼が現れました。
焔口は口から火を吹いており、とても痩せ細っていて苦しそうでした。そして、阿難陀尊者にこう告げました。
「お前は3日後に死んで、私のような姿に生まれ変わるぞ」
その言葉に驚いた阿難陀尊者はどうすれば逃れられるのかと尋ねました。焔口はこう言いました。
「我々のような飢えや渇きに苦しむ者たちに食事を施し、供養すれば、お前は死から逃れられるだろう」
しかし、阿難陀尊者は出家した僧侶です。当時の僧侶たちはお金を所持しておりませんので、餓鬼たちに施す食事を十分に用意することができません。そこで師匠である釈尊に相談しに行きました。
釈尊はこうおっしゃいました。
「観音様の陀羅尼(だらに、秘密の呪文のこと)がある。この陀羅尼を唱えれば、お供えした食べ物は無限大に増え、餓鬼たちの腹を満たすことができる。そうすればお前の寿命は延び、またその功徳は仏道の成就へとつながるだろう」
阿難陀尊者は釈尊の言う通り餓鬼たちへの供養法要を行い、無事に生き延びることができました。諸説はありますが、これが施食会の由来とされています。実はかつては施食会ではなく、「施餓鬼会(せがきえ)」と呼ばれていました。それは上の由来からも分かる通りだと思います。
ではなぜ施食会を行うことで現在のような「ご先祖さまの供養」につながるのか、それは次回に続けたいと思います。
※なお、「施餓鬼会」という名称には一部人権的問題をはらむ要因があり、誤解を招くと考えられたため、現在では施食会という名称に変わった経緯があります。「餓鬼」という表現自体が現代の社会通念や今日の人権意識に照らしてふさわしくない言葉でもあります。本記事でもこの言葉について説明を加えていますが、社会的な差別の助長を意図するものではなく、特定の人及び団体に対して不利益を与えるために行うものではありません。予めご了承ください。
※阿難陀尊者は一番釈尊のお側に仕えた弟子で、一番釈尊のお話を間近で聞いていたので、一言一句覚えていたとされています。それを書き起こしたのが、いわゆる経典(お経)です。彼がいなければ、経典が現在まで伝わることはなかったでしょう。
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